2011年が終わる。
チャリ旅を終えてもう3カ月が経とうとしている。
鹿児島に帰ってからずっと無職の僕にとって、時間は世間の10倍以上、
それこそ光のスピードで過ぎ去っていく(怖)。
けれども、子どもの頃はちょっと違った気がする。
小学生の2学期なんて永遠と思えるほど長く、
何度布団に入っても、お年玉がもらえる日は遥か先の未来だった。
8月6日、秋田の夜。
あの日、そんなことを思い出した。
夕方5時頃。
秋田に到着した僕は、いつもの習慣でまず駅に向かった。
行き当たりばったりの旅。その土地の情報を手っ取り早く得るためには駅だ。
たいてい観光案内所が中にあり、安宿や、美味しい店や、最寄りの銭湯を教えてくれるし、周辺地図も手に入る。僕のような旅行者のために、最近ではマンガ喫茶の場所も把握してくれているから嬉しい。その日の目的は銭湯だった。ヒリヒリと痛むお尻を、どうしても癒してあげたかった。
「ホテルの大浴場が近いですよ。よかったら割引チケットもあります。」
駅前の立派なホテル、いろいろなお湯が楽しめて、バスタオルも貸し出してくれるという。そんなチャリ旅にあるまじきお風呂が500円で入れる魔法のチケットをくれた。
あぁ、素晴らしき観光案内所!
迷うことなくそのホテルへ。竿燈祭りの最終日、家族連れでごった返すホテルの中で、黒光りする自転車青年は完全に浮いた。服を脱いでも、肌着を着ているみたいに日焼けしていたので・・。
湯船に向かうと、確かにいろいろな種類があった。
その中の“寝湯”というのに心惹かれた。水深が5cmほどしかないぬるま湯で、そこに寝転がるとなんとも気持ちよかった。けれどよかったのは最初の5分だけだった。
幼稚園の年長さんと年中さんくらいの兄弟が飛び込んできたからだ。
その兄弟が“寝湯”に寝ているのは10秒くらい。
バシャバシャと水しぶきを立てて飛び出していき、他の5つほどある湯船を経由してまた帰ってくる。その度顔に水をかけられるんだけど、何が楽しいのかキャッキャ笑ってるので怒る気にもなれず。じっとしていられない子どもの性分と言ったらそれまでだけど、そのとき僕はこんなことを思っていた。
大人になると時間の流れが速く感じるのは、
子どもの頃より時間をルーズに“使う”ようになったからじゃないか、と。
喫茶店でコーヒーを飲む、食後に1本の煙草を吸う、温泉にのんびりとつかる。
大人になって、何も考えない時間を大切にするようになった。けれども子どもは、そんな“使い方”はもったいないと、本能で感じているのかもしれない。
兎にも角にも“新鮮なもの”を求めて走り回っていた。知らないものにワクワクし、楽しめるものは飽きるまで、壊れるまで楽しんだ。
死が近づいて初めて時間のありがたみを知るように、生に一番近い子どもが誰よりも生き急いでいる。1分1秒の重みが違うから、時間も遅く感じられるんじゃないか。
時間がない、と人は言う。
時間はつくり出すものだ、とも言う。
12歳だかそこらへんから芽生え始めた“大人時間”を振り切って、
今一度“子ども時間”に戻してみたい。
子どもって利己的で自己中心的で、その立場を利用した悪知恵ばかり働くヤなやつだけど、誰よりもその場を楽しめたり感受性が強かったり、とんでもない発想や能力を持ってたりするすごい人達だから、
この歳になっても、そのエッセンスは少し持っておきたいと思った。
8月6日、秋田の夜。
※Face book、見よう見まねではじめました。
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